こんにちは。ハトです😃
今回もじっちゃまこと広瀬隆雄さんのYouTubeの要約です。
短期での米国株投資目的と自分の勉強の為に見ています。
話されていた内容を自分のためにもメモ代わりに要約して載せたいと思います。
興味がある方はぜひ本家の方のyoutubeの方もチェックしてください。
今回は投資銀行って、どんなところ?についてです。
じっちゃまのキャリアについて
いつもと趣向を変えて投資銀行って、どんなところという話。
元々建設業からキャリア初めた。1980年代に原油価格が低迷してプラントビジネスが左前になって転職を考えた。
低インフレ、低金利なんだったらこれからは金融かなと思って証券のビジネスに鞍替えした。
1986年に三洋証券に入った。1年ちょっと勤めて1988年にSGウォーバーグに入った。1986年まで務めた。
ドット株ブームが起きたんでサンフランシスコのH&Qというハイテク、バイオを専門にした投資銀行に転職。H&Qがチェースマンハッタン銀行に買収されて、チェースがロバートフレミング、JPモルガンを買収して、大同合併して今のJPモルガンチェースができた。
2003年までいて、首になって投資顧問会社を始めた。
勤めてた時代の投資銀行は黄金時代だった。我ながらラッキーな時代に勤めることができた。1986年にイギリスでビッグバンという改革が起こった。
ビッグバン (Big Bang) とは、機関投資家の成長を背景として、サッチャー政権下の1986年10月27日にロンドン証券取引所が実施した金融改革である。ブローカーまたはジョバーの単一資格制を廃しマーケットメイカー制をイギリスに定着させた。
Wikipediaより
証券業が大幅に規制緩和された。マーチャントバンクとブローカー、ジョバーなどが合併して良くなった。
それを受けて1980年代のイギリスはM&Aの嵐だった。その中で頭角を現したマーチャントバンクがSGウォーバーグだった。
当時のビジネスオポチュニティは民営化だった。日本ではNTTなど。イギリスでもあった。その流れをその後新興国にも移っていった。ラテンアメリカの国有企業など。ブラジルのテレグラス、メキシコのテレメックスなど。そういうビジネスをやってきた。
やっていた仕事はバンカーではなくではなくキャピタルマーケット、株式部に属していた。機関投資家向けの株式のセールスと引き受けをやっていた。
その後で1995年にネットスケープがIPOされて、それを見ていてドットコムがホットになると思いH&Qに入った。それ以降IPOに携わってきた。
投資銀行の給与体系について
投資銀行のエトス、考え方・精神は”you eat what you kill”。自分が仕留めた獲物は自分で食う。自分で獲物を取れない奴は消えていくしかないという厳しいところ。
投資銀行の給与体系は2種類あってサラリーボーナスショップとペイアウトショップという2つに分けられる。
サラリーボーナスショップは一律ベース年俸がきまっている。後は全部パフォーマンスボーナスで追加分が決まる。
どの役職でもほとんどベースに差がない。会社全体でボーナスプールを決める。利益の中から各部門の配分比率を決める。その中から各社員に山分け分が決まっていくというやり方。
どこかが損を出したらボーナスプールが痛んだという事になり、他の部署の人間も割も食う。政治的駆け引きが多い。ほとんどの争いごとの原因はボーナスプールをめぐって起こる。
昔のウォールストリートは個人の能力に関係ない個人の出自、バックグラウンドも関係あった。white shoe farmという言葉があった。(白人系の多い投資銀行)人種の系列があった。
SGウォーバーグが中間管理職向け研修をした事があって、それに選抜されたアジア人は広瀬氏一人だけだったことがあり問題になったことがあった。
今はもうないが、投資銀行は昔は人種的な偏見はあった。ボーナスの査定でセンシティブになる。
ペイアウトショップはH&Qなどが導入していた。
売り上げの20%が入ってきて、上司の独断と偏見が一切入らない。広瀬氏は狙って入った。ポリティクスが一切ないから。
ペイアウトショップの方が働きやすかった。同僚の中でけんかにならない。ボーナスプールをめぐって争いにならない。自分が多く稼いだら他の人が下がる事がない、ボーナスをシェアしていないから。
なぜ大部分の投資銀行はペイアウトショップじゃないかというと、問題点は会社の方向性を転換しようとすると非常に大変だから。不可能に近い。
投資銀行業界をめぐる環境が変動した場合、経営のリソースを投入することができない。H&Qが合併してJPモルガンになった時点でサラリーボーナスショップに変わった。広瀬氏の給料は3分の1になった。現在の投資銀行のほとんどはサラリーボーナスショップでは。
コメント